Common sense と 判断力

中学校の英語の授業だったと思いますが「Common sense」と
いう単語を聞いて、なぜか背筋の伸びる思いをしました。
それ以来、私の中では「常識」という言葉が生きていく基本にある
ようで、特に仕事に就くようになってからは、何事もそれを意識
しています。

仕事柄、無茶を言われる事もあり、出来る事は対応しますが
あまりにも一般常識からかけ離れた無理難題を押し付けられ、
尚且つ「そんなもん常識やろ!」などと言われると、いくら
お客様とは言え「私の常識の中にそれはありません」と言い
返してしまった事も何度かあります。

そもそも「常識」とは人それぞれ、物の「価値観」によっても
変わってくるものでしょうから、一概に「非常識」と突き放す事が
出来ないと思います。
だから自分の中では「これは一般と照らし合わせて筋が通って
いるか?」を自問、判断をするようにしており、相手に対しても
「もし私が筋が通っていないと思うなら、そう言って下さい」と
問う癖がついてしまっています。

他人に対して「それは間違っている」と言うのは、大変勇気と
エネルギーが必要で、本当に自分の事を思ってくれている
人でないと言って貰えないでしょう。

身近にそういう人がいる事に感謝しつつ、もっともっと軸が
ぶれない「自分」を形成していきたいと思う、この数日です。

海人三郎

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情熱大陸は私が好きな番組の一つ。
昨日の深酒がたたり、終日体調がすぐれず10時過ぎに
布団に入ったのですが、なかなか寝付けず床を出る事
数度。11時過ぎに嫁娘が情熱大陸に見入っており、
そこで紹介されていたのが「海人三郎」こと下地清栄
さん。57歳にして伝説の漁師と呼ばれる人でした。

年齢にもましてその腕っぷしと日にやけた体から醸し
出される「生きる」ことへのエネルギーに、思わず
見入ってしまいました。
「海人祭」の中で催される漁師対抗のハーリーと
呼ばれる手漕ぎ船のレースで2位になった時の悔しがり様、
過去20年の暦に書き込んだ、潜った場所と採った魚のデータ。
伝説と呼ばれてなお、「死ぬまで勉強」と言い切る姿には
人を惹きつける魅力だけではなく、尊敬の念に駆られる
ものがあります。

圧巻は、自分の背丈程のマグロを銛で射抜き、長引く
とみるや暴れるマグロを両手で押さえ付け仕留める
姿はまさに「海人」と呼ばれる由縁でしょう。

男として「格好いい」と思える人です。

準備と集中

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先日の、ゴルフ練習で思った事。
ゴルフの動作は、基本的に理に適っていない、無理な動き
をするスポーツだそうです。

まず、本来距離を目視する為には目標に正対すべき所を
半身になって構えて、左右の腕を厚みのある体の中心で
揃えて、それを体の軸を中心に振り子の様に振り、尚且つ
体の軸に前後運動を加えて、止まっているボールを静止
した状態から打ちにかかる。

こんな事をわずか5秒の間にチェックして行動に移すなんて
無理ですよね。だからプロであってもあれほど悩み、迷って
もがき苦しむのでしょう。
私のような不器用者は、練習して練習して体に癖付けて、
それでも不安定なスイングしか出来ないので、単純に考える
様にしました。

①ある程度のおおまかなチェックポイントをあらかじめ確認する。
②スイングに入ったら、スイングの事だけを考える。
③ナイスショットが出たら、ゴルフができる事に感謝!
  ミスが出た時は、ミスの内容を確認してまた感謝!

それで、気が付いたのですが、何事も「準備」をしっかりして
確認の上にも確認を怠らなければ、あとはその「事柄」のみに
集中すれば、成功する確率は格段に上がるはず。
それを、いい加減な準備しかしていないと、いざという時に
不安や心配がよぎり、ミスを犯してしまう。

何事も、基本は同じという事を好きなゴルフから再発見
致しました。

送り火

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京都 桂 中村軒の「大文字上用」どす。
昨日の「ほんわかテレビ」で紹介されていた
そうで、店内はえらい混雑。お墓参りのお供え
を購入して早々に退散しました。
中村軒は、桂離宮の南側にある創業明治16年の
和菓子屋さんで、四季折々の和菓子で年を通して
お客様の絶えないお店です。中でも「麦代餅」が
有名ですので、お近くにお越しの折は、お立ち寄り
ください。
毎年五山の送り火は、自宅の屋上から見る
様にしています。やはり先祖の霊は、静かに
送るべきだと考えています。
今年は、特にいろんな事があったからその
考えもひとしおです。
震災、原発、陸前高田の薪問題。
いずれでせよ、送る気持ちは変わらないと
思います。
心のやすらぎと、被災地の復興。
少しでも願いが叶えられますように。
  

面接

今年に入ってから、営業職の求人をかけているのですがなかなか決まりません。以前に比べて「営業」と言う職業について求職される方の意識が変わってきたのか、就職希望のお問い合わせも徐々にではありますが頂いています。

この業界の営業職は、なかなか難しくて膨大な商品知識と、職人さん相手の営業トーク、やって当然のプロ意識がないと続きません。その分、自分で確立出来れば一生物の営業能力です。当然日々の研鑽は必要ですが。
私もかれこれ25年以上この仕事を続けていますが、まだまだ知らない事ばかりで慢心してはいけないと自分に言い聞かせるようにしていますが、言葉の端々にそう言う気持ちが出ているのを感じる時もあり、初心を忘れないようにしたいと思います。

本日、面接希望の依頼が2名あり嫁と待ち受ける事しばし。
今までの経験上、面接に来られる方は大体15分前に到着される事が多く、迷われて約束時間に遅れる場合も電話が入るのが普通ですが、今回は連絡も無し。
以前、同業者の社長が採用面接の為、支店営業所に1時間前に到着し人事の責任者と打ち合わせし、来社が遅れている就職希望者の携帯に連絡を入れて「あと5分で着きます」と言った切り、すっぽかされたという話を聞いて「そんな人もいるんや」と唖然としましたが、まさにビンゴ!

結局、そういう人は、そういう人なんでしょうね。
自分の事しか考えが及ばないのでしょう。相手の気持ちを慮る事が出来ず、その影響を想像する事も出来ない。
我が社としてはそのような方を採用してしまう可能性がなくなったので、それはそれで良しなのですが、やはり腑に落ちない所はありますね。

今回の震災で被災した陸前高田の松で作った薪に、被災された方々の想いを書いて貰い京都五山の送り火に使うという計画が、一部の反対意見で中止になったそうです。

「放射性物質は大丈夫か」
「灰が飛んで琵琶湖の水が汚染されるのでは」

この話を聞かされた被災者の皆様の心中を考えるを、当事者ではないながらも京都に住む人間として、頭を下げずにいられないのは私だけではないと思います。

自身もまだまだ、偉そうな事が言える立場でも、胸を張れるような事をしている訳でもなく、家族にすら気遣いが足りないと反省ばかりしている自分ですが、少しでも人の事を思いやれる社会になればと願わずにはいられません。

生まれた!生まれた!!

先週の梅雨明け後、暑い日が続いていましたが今年2組目のツバメが先月の19日にリフォームを始めて約1ヶ月。以前も孵化しない時があったので、日々一喜一憂していましたが今日やっと生まれました!

今日見つけたのは、1つの殻でしたが1こ生まれればまず大丈夫!後はお父さん、お母さんの頑張りです。これから厳しい暑さが続きますが、この日差しは燕尾服には堪えますね。どうか親子共々無事で元気に育ちますように!心より祈っています。

以前からよくツバメの話をするお得意様から「ツバメのねぐら」についての記事が京都新聞に載っている旨の連絡を貰い、ネットで調べてみると宇治の木津川沿いに子育てを終えたツバメが約2万羽集団で生活をしていて、秋になったら一斉に渡っていくんだとか。お得意先の奥様も知り合いに教えて貰い一度見に行ったそうですが、それは壮観な光景だそうです。

以前からうちで育ったツバメ達、お父さん、お母さん、ご近所さんも一緒に生活しているのかなあ。今度の子ツバメが巣立つのが8月に入ってからになると思うので、一度「ねぐら」訪問して来ます。その時は又、報告しますね。

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今日で6月もおしまい。1年も半分が過ぎてしまいました。早いなぁ~。もう?まだ?

今年の目標

・ブログを毎日書く → 出来てる!出来てる!!

・本を60冊読む   → ・・・現在11冊目

・福祉住環境1級受験 → 日程チェック!テキスト購入済!・・・

・ゴルフのスコア95切 → 練習にはちゃんと行ってますよ、練習には・・・

出来ている事は「もう半年しかない」、出来ていない事は「まだ半年もある」。プラス思考で行きましょ!でも厳密に言うと明日の12時で半年か。まだまだ、まだまだ。

最大の誤算は、「ブログ」。こんなに時間を取られるとは思いませんでした。考え過ぎなのか、思考回路が薄いのか、結構練ってしまいます。でも良かった点は頭の中が整理出来る事と話下手が少しは改善された事。

あがり症で自意識過剰ぎみの私は、自分で笑ってしまう程よくカミます。それが少しは改善出来たのは「ブログ」のおかげ。この事を以前人に話したら「自分も、話がうまくなりたかったら日記を書きなさい と言われた」そうです。これは道理なんでしょうね。

字を書くのが苦手で、マメでもない私が日記を書くなんて事は、生涯ありえないと思っていましたが、今書いているのはまさしく日記ですよね。日記なのでfacebookにまで開示はしていません。自分の中で完結できていれば、わずかではありますが「思考の力」になるでしょうし、「継続する力」にもなっています。

気軽に「始める!」と開設したブログですが、まだまだこれから書きたい事、考えたい事、調べたい事、まだまだあります!

良かった事

良かった事
こやつです。
たまりにたまった書きさしのブログを仕上げていた夕暮れ時。1階の事務所にいた嫁から「ツバメが倒れてる!」との内線が入りました。

第一声は、「嘘!」でしたが一瞬で以前うちに連れて来られた、羽根の折れたツバメを思い出しました。その時は野鳥保護センターまで連れて行ったのですが、残念ながら助かりませんでした。

今回は、2羽の子ツバメが先を争う様に巣に戻って来て、ぶつかり合い一羽が軒下に落ちて動がなくなったとの事。玄関先に出ると床に子ツバメが羽根を広げて仰向けに落ちていた。あわてて拾い上げようとすると、逃げたいのにうまく体が動かない様子。会社の前は交通量の多い道なので飛び出して車に当たれば一貫の終わりなのでそちら側から回り込んで両手で包み込むように確保しました。

広がった羽根を元に戻してやると体型は元通りになったので、巣に戻すべきか店内で回復するまで様子を見るべきか考え、嫁に脚立を取りに行くよう指示したものの万が一を想定して明日の朝まで店内の箱に入れて様子を見ようと言う事にしました。

そうしているうちに子ツバメが目を閉じ始め、危ういのか、捕まったと観念したのか、単に眠いだけなのか様子を伺っていると、一緒に遊んでいた(ケンカしていた?)もう一羽の子ツバメが2度、3度と近くを鳴きながら飛び交っていたので「今日一日預かるわ」と言い掛けた瞬間、私の手元から元気良く飛び出していきました。

「良かった!」

思わず口から出た言葉です。心底そう思いました。それから30分ほど近くを飛び交い、2階事務所の窓から見える電線でひとしきりさえずったあと、又遊びにいってしまいました。ツバメは元来おしゃべりでよくさえずるのですが、きょうは特別こちらに話しかけているような気がして何だか嬉しかった!

ちなみに「さえずる」という漢字は「囀る」で口に車に專(もっぱら)。「もっぱら口を回してばっかり」?悪い意味ではないと思っていたのですが・・・

京都切り廻り

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今日は、比叡山延暦寺大乗院住職の京都切り廻りの日。今年で4年目になると思いますが、早朝の北白川真如堂に参り阿闍梨様のお加持を受けに行きます。早朝の真如堂は、空気が澄んでいて身も心も引き締まり仏教徒でない私でも素直に頭を垂れて、祈る事が出来ます。今年で35歳になられる光永圓道大阿闍梨師は、初めてお会いした時から、澄んだ瞳と心の芯まで響き渡るお声のまさに「仏道」というお方でした。

京都切り廻りは、無動寺谷→赤山禅院→真如堂平安神宮→青蓮寺行者橋→八坂神社→清水寺六波羅密寺→松原橋→神泉苑→北野天満宮→上御霊神社→出雲路橋→河合神社→赤山禅院→比叡山(80km)と旧京都市内にある神社、仏閣を巡拝する行です。

又、比叡山千日回峰行「京都大廻り」行程は、無動寺谷→雲母坂→赤山禅院→真如堂→行者橋→八坂神社→清水寺→六波羅密寺→因幡薬師→神泉苑→北野天満宮→西方尼寺→上御霊神社→下鴨神社→河合神社→清浄華院(宿泊)。翌日はその逆回りで比叡山へ還る(84km)行だそうです。

いずれにしても、1日歩いても「あー疲れた」と言ってしまいそうな行を千日。想像すら出来ません。まさに阿闍梨さん、と敬われ慕われるのが身に染みてわかります。できれば今度お供をしてみたく、その為にも体を鍛え直しておきます。

次回、比叡山飯室不動堂で酒井雄哉大阿闍梨にお会いした節にはもう一度記させて頂きます。

  

巣立ち

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今朝、つばめが巣立ちました。4月18日に親鳥がやってきて5月18日に孵化し、6月8日に飛び立ちました。今年は入梅が例年より18日も早く、暑さもましでその点親鳥は楽だったんではないでしょうか。

巣立ちといってもすぐにここを離れる訳ではなくて、これから飛ぶ練習、餌を取る練習、そしてなによりもこの地を覚える事を10日位かけて経験し、話によると宇治川の河原に集合するそうです。渡る前にもう一度帰ってくるのですが、私は宇治川の「集団宿泊」を見た事がなくて、今年は出来たら見に行きたいと思っているので行けたら又、書き込みます。

今年は、仕事上バタつく事が多くて写真を撮ることが出来ませんでした。今回掲載は残念ながら昨年の巣立ちのシーンです。一番小さかった雛鳥が飛び立てなくて一羽だけ巣に残っているのを他の雛鳥が励まして、というか「大丈夫やって!」と言っている様に思えて撮った写真です。この後、チビ助もすぐに飛び立ちましたが、その姿が本当に初々しくて思わず頬が緩んだのを思い出しました。

今年の1組目が早く巣立ったので、2組目も入ってくれるかな?そんな年は何となく得した気分になり 「いい事あるかも!」 と足取りも軽くなります。でも、こうして考えてみると毎年こんな思いになれる、させてくれている事がすでに「いい事!」なんですね。